素面道 〜日日是好日〜

この物語は、昭和に生まれ 平成の時代と共に酒を断ち 令和の時代に素面の道を極めんとする ある親父の日々の記録と戯言を 余すことなくブログ化したものである。

初節句

昨日はもうじき6ヶ月になる長男の初節句であった。

 

この時代を生きている私達、そして生きていく子供達はとても恵まれ幸せである。

先人が命をかけて築き上げてくれた賜物でありそのことにまずは深く感謝したい。

 

ただ、時代は平成から令和へと過渡期を迎え、平和が当たり前になった今、世の中全体が、より平等さを、より潔癖さを求めている気がする。

 

むしろ、はき違えた平等さや行き過ぎた潔癖さに、息苦しさすら感じる。

 

パワハラ、セクハラ、マタハラ・・・と何でも◯◯ハラスメントというセメントでガチガチに固められた社会である。

 

もちろん、本来の言葉の意味の範囲内での弱者の権利は守られてしかるべきである。

 

その事に対して誰も異論はないだろう。

 

ただ、弱者と呼ばれる者が、たとえ自分に非があろうと◯◯ハラスメントという鎧をまとい権利のみを主張する。

 

(例えば、会社に遅刻し上司に怒鳴られたということだけでもパワハラが成立し、異性に髪を切ったか聞いただけでセクハラが成立する。その基準は言われた方の捉え方次第というご都合主義)

 

社会はそれを擁護し、時に正当性の有無に関わらず強者と呼ばれる者に罰則を与え排除しかねない世の中である。

 

まさに、ハラスメントハラスメントだ!

そう思い、ふとネット検索するとそのような言葉が実際にあるから驚きである。

 

テレビ番組を見てもしかり、コンプライアンスを大切にするあまりに、少しでも差別とおもしき表現があれば排除し、社会的に毒とされる過激な番組はなくなった。

 

負や陰の表現は芸能・芸術しいては文化の発展に不可欠であり必要悪であるはずなのに。

 

テレビ業界では、法を犯した者はもちろん、不倫や浮気が発覚した者まで。とにかく世間の目を気にするスポンサーの意向を忖度し、それにそぐわぬ者は徹底的に排除する。

 

視聴者である我々もまた、匿名で身を隠し自分の安全を確保した上で、クレーマーと化し、徹底的に叩き上げる。

 

これでもかと立ち直れないくらいに人格をまで否定する、まさに正義という名の下での集団リンチである。

 

それは芸能人だけにとどまらず、SNSの普及で、一般人でさえ互いに素性を隠し言葉で心を殴り合うのが当たり前の時代なのだ。

 

横山やすし 勝新太郎  小林旭 内田裕也 ・・・かつて、私が幼い頃、ブラウン管の中にいた人々である。

その生き様に賛否はあるとしても間違いなく彼らは時代の寵児でありスターであった。

 

自らがまばゆい光を放ち輝くスターもいれば、

光と影があるからこそ輝くスターもいる。

 

決して罪を美化している訳ではないが、

過ちを犯しても彼らが輝けたのは、社会に、テレビ業界に、そして視聴者である国民に、全てに許容があったからだ。

 

今後、このようなスターは間違いなく排出されずらい世の中になっていくことだろう。

 

さて、話はだいぶ脱線してしまったが、何故、時代の流れにここまで危惧するのかというと、かく言う私自身が失敗と過ちのかたまりで出来たような男だからだ。

 

私の遺伝子を継ぐ息子や娘もきっとこの先、私がそうであったように、いろいろな壁にぶち当たり悩み苦しむことだろう。

 

許容のない時代の中で、リスクをとってまでも自分らしくバイタリティ豊かに生きることは難しい。

 

だからこそ、息子や娘が生きてく世の中が、もう少し融通の利く、また失敗や過ちを犯してもリカバリーがきく寛容ある世の中であってほしいと切に願うのだ。

 

何故ならば、不条理だらけの世の中だからこそ道理が立ち、失敗や過ちの経験が物事の善悪の判断や生きてく力を養うのだから。

 

そして、誰もが自由気ままに生きることができる、真に多様性が認められる社会であってほしい。

 

あの青空を泳ぐ鯉のぼりのように。

f:id:shirafudou:20190506120729j:image